アスファルトを突き破る植物
野草がアスファルトを突き破って溢れ出る。伐採されたのに切り株からはうねうねと新芽が伸びている。廃墟住宅はものの半年で草木のジャングルになる。
どれも僕の自宅から半径500メートル以内で見られる光景です。
僕は以前から、こんなふうに、人の目が離れるやたちまち蔓延り始める植物の生命力が気になっていたのですが、そんなときに、植物屋「叢」と小田さんの存在を知りました。
小田さんもまた、そんな植物たちの力を「カッコいい」と言うのです。

植物のありようを植物の目線で捉え、そこに価値を見い出す。なぜならそれこそが植物の魅力だから。
小田さんの登場は、これまでの植物屋さんからしたら穏やかではない、価値転覆を孕んだものに映るかもしれない。もしかすると、小田さん自体がアスファルトを突き破る植物なのかもしれない。
最先端。でもそれは、「本来もともとそうであるところのこと」にフォーカスしてるだけでもある。いつの時代も、本当の営みはこういう場所にある気がします。
そんな小田さんと、植物の面白さについて話してきました。
岩田 和憲
小田 康平(おだ こうへい)さんのプロフィール

多肉植物をメインにした植物屋「叢」店主。
1976年12月、広島県戸河内町(現・安芸太田町)出身。広島市育ち。
99年、神戸商科大学商経学部卒業後、ヨーロッパ、北アフリカなど海外を9カ月ほど巡る。パリで店舗空間全体を演出するフラワーアーティストに感銘を受け、帰国後、家業の花屋に入る。
9年後に独立。市場では無視されがちな傷ついた植物、ゆがんだ植物に規格外の美しさを見出し店先に置いていたところ、次第に注目されるようになる。
2012年1月、「いい顔」してるかどうかを基準に一点物の植物を取り扱う店「叢」を創業。
岩田
小田さんは、植物が本来持ってる力にすごく共感されてる。

小田 康平(以下、小田)
うんうん。

岩田
モンステラみたいな観葉植物を大量生産してる業者さんのところへ行っても、そこには何にも物語がなくて、面白味がなくて、自分には響いてこないとおっしゃってましたよね。

小田
そうですね。
水が欲しい時に水をしっかりあげて、光もあげて、で、運びやすいようにサイズも統一して。そういう大量生産の植物っていうのは、そのー、ある枠に収められた商品なんですよね。そういうところから植物のエネルギーとか力強さとかっていうのは、まあ、感じ取りにくくて。

岩田
うん。

小田
それが、上手に育ち大きくなっていったらまた話は別なんですけど。
基本的にその、流通にのせてるような植物っていうのは、僕からしたら植物ではなくて、

岩田
工業製品?

小田
っていう感じに思うんです。
本当は自然に生えてる植物が一番好きなんですけど、山からとるわけにもいかないので。自身の力で水を得て、光を得て、で、育ってる。
そういうところに力強さとか、逞しさとか、あざとさみたいなのが入ってて。そういう植物が面白いなあと思いますね。
岩田
それって、小さいころからそういうふうに思ってました?

小田
いや、そんなことないですよ。
親が花屋なんで植物は身近にあったんですけど、植物の力がどうとか、そういうのって、当時まったく考えてなくて。ほんと、自分で花屋を始めたぐらいからちょっとずつそういうことを考え出して。
で、ある有名なアートコレクターさんと出会って、骨董品とかアートとか見ているうちに、表面的なものよりも中身に意味がこもってたりとか、なにかストーリーが積み重ねられてきたりとか、そういうところがあって初めてそのもの全部なんだなっていう、そういう見方をするようになって。それがまあ、

岩田
何歳ぐらいのころですか?

小田
5、6年前ぐらい。31、32ぐらいですね。

岩田
いったんそういうことに気づくと、いろんなことがパズルのように繋がりだして見えてきませんか?

小田
そう、そうですね。
ものを表面的に見たときに情報として絵面が入ってきますけど、それよりもなんでこの表面になったのか、その中身ですよね。そこに興味を持ち出して。
見てくれのキレイさって飽きちゃうんですよね。だけど中身の歴史というか、そういうのって、ある人の想いがこもってたりして、すごく考えさせられたりする。
それはうちが扱ってる植物の1つの見方なんで、仕入れに行ったときは、自分の想像外のものがそこにあったとしたら、すぐ栽培主に訊いてね。
例えば、なんで斜めに育ってるのだろう? 普通なら真っ直ぐなるのに、とか。 なんでこうなったんか? どっからきたんか? その植物をどのぐらい愛して、そのあとどれぐらい冷めたのか?
そういう訊かないとわかんないことをしっかり聞いて、持ち帰って。
あのー、最初プラバチで仕入れるので、

岩田
プラバチ?

小田
プラスチックの鉢です。

岩田
ああ、プラ鉢。

小田
プラ鉢で仕入れるので、それを植え替えるんですけど、その植え替えるのも、例えば斜めに育った植物をあえて真っ直ぐに植え替えてしまうと、なんか上っ面だけのキレイさになってしまうんで。
もともと斜めに生えていたものを、運びにくいからとか、売りにくいからとか思って真っ直ぐに植え替えると、結局、斜めに植わってた意味が消えてしまう。斜めに植わってたものは斜めのまま植え替えるし、ぐねぐね植わってたものはぐねぐねのまま植え替えるし。
その植物の背景が伝わるように、自分の作為みたいなのを入れずに植え込んで、なおかつストーリーもつけてお客さんに見てもらう。

岩田
ストーリーは植物自体が持ってるわけだ。
それを、ある意味、その、小田さんが解説してる。

小田
えーっと、いろんなストーリーがあって、植物自体が持ってるものもあれば、やっぱり管理されてきた植物なので、作り手のおじいさんたちのストーリーもあるし。
おじいさん、サボテン大好きだから、愛してるんですよ。なんですけど、別の新しいサボテンが入ってくると、やっぱそっちが可愛いくなって、そっちを愛してしまうんですよ。そうなると最初のサボテンがちょっとほったらかしになるんですよね。一度にたくさんは見られないから。
このサボテンっていうのが、最初はステージにのぼっていちばん陽当たりのいい、いちばん見えるところに置かれるんですけど、新しいのがきたら、そのサボテン、ちょっと端っこにいったり、棚の下に行ったりするんです。
岩田
弟ができたお兄ちゃんみたいな。

小田
そうそうそう。
そうなったときにも、もともとサボテンとか多肉植物って厳しい環境にいる植物なので、

岩田
生きようとするんだ。

小田
はい。
そこが、なんていうのかな、その植物の、

岩田
物語が出る。

小田
物語のスタートみたいな。
そっからが、自分の力で生きようとするんですよね。

岩田
すごいですね。
小田
ようは、そんなことじゃ死なねえぞ、と。
まあ本来は砂漠のすごい厳しい環境で育ってるわけだから、その環境になったときに初めて、そのサボテンのこれまでの真価っていうのが問われてくる。
ダメだった場合は枯れてしまうわけだから、必死に生きるわけですよね。
そのカッコ良さがいちばんの魅力だと思ってます。
植物の種類としてのカタチ、進化していくなかで工夫された種のカタチっていうのも、それはそれで面白いんですけど、それよりは個体、個性の面白さ。
大事に大事に育てられたら普通なんですけど、もう転がってああなってこうなって、水もあんまもらえなくて、いびつになったサボテンの、「頑張ったんだな、おまえは…」みたいな。

岩田
その一回歪んだものっていうのは、例えば恵まれた環境に移し替えても、そのいびつさは、

小田
戻らないです。

岩田
刻まれるわけですね。

小田
そうですね。そっからの生長はキレイに真っ直ぐ育つかもしれないけど、過去にあった動きっていうのは、まあ、消えないですね。

岩田
記録されていくんだ。

小田
そうですね。
岩田
ふん。

小田
そういう面白さがあることによって、じっくり味わえる。

岩田
まったく人間も同じ話ですね。

小田
そうですよ。

岩田
だいたいでも、過去にいろいろあって曲がった人たちが社会で生きていくのは、なかなか難しいんですけどね。

小田
まあでも、そういう人の話は楽しいですよね。
上手に上手に育てられて、ストレスもなく育った人、病気もせずに怪我もせずに、食べたい時に十分なものを食べれて健康でっていうキレイな…、まあ健康は大事なんですけど、そういう人と、かたや、いろいろあったけど、いろいろねじ曲がってるけど、でも今、元気です、みたいな人。そういう人のほうが、話してても楽しいですよね。
「あん時めっちゃ大変だったわ」みたいな苦労話とかも、面白いじゃないですか。
植物は実際には喋らないけども、そういう背景が見えた方が、より愛着がわいて。