2月22日(日)
6時半起床。少しだけ二日酔い。昨日の記憶をメモ帳に書きつけ整理する。
8時にチェックアウトし、朝の原ノ町を散歩する。
珈琲亭「いこい」という、昭和っぽい味のある店でモーニングを食べる。
南相馬市原ノ町区 珈琲亭「いこい」
街中ではちらほら高級車が目につく。
石巻でもそうだったが、ここ南相馬でも、家も職も失い貧困化した人たちがたくさんいる一方で、震災バブルで儲けたり、遺産を引き継いだりで、車を高級車に買い換えた人がたくさんいるという。
「今、南相馬の人たちはばらばらですよ」と、MARILYのマスターが言っていた。東松島の中井さんも二極化とギャップの問題を言っていた。
そして、幼い子どもが帰ってこない。
家を失っても職を失っても、人はそれでもなお生き直すことができるのかもしれないが、住む人の気持ちがばらばらになり、子どもが戻ってこない世界は、問題の意味が違ってくる。いちばんの破壊はそこなのかもしれない。

7月は、相馬野馬追祭の復活で地域の人が集まり、馬を何百頭と駆けめぐらせる。祭り日は、ばらばらになった人の網の目をもう一度繋いで、きらきらと見せてくれる。
震災で街が壊れた。祭りは復活した。この2つの出来事は繋がっている。
南相馬市原ノ町区
南相馬市原ノ町区
午前9時半、浪江町に向かって出発。
小高地区の津波被害地域を車で走る。ここは強烈。津波で家々と農地は完全に破壊され、今なお原発避難地域であるため復興はほとんど手つかずの状態である。
少し裏道に入ると立入禁止看板が現れる。看板向こうには、誰もいない村落がある。そこを野良猫がゆうゆうと歩いている。池の周囲はとりわけ放射線量が高く、除染員の人たちもそこは絶対近づいていけない場所と教えられるそうだが、猫はゆうゆうと池の周りを歩いていく。
聞いた話では、チェルノブイリの立入禁止区域はいまや動植物の楽園と化しているという。いったいこれはどういうことなのだろう? そしてここ小高地区でも、たくさんの白鳥が今年も飛来している。羽根をたっぷり水に濡らしている。
原発事故後、むしろ白鳥にとってここは一層の楽園と化したのだろうか?
南相馬市小高地区
小高地区を抜けたあとは、そのまま国道6号で浪江町へ入る。
入るなり、「牛と衝突」の注意看板が。原発事故後、飼主が避難したため立入禁止区域20km圏内で約1000頭の酪農牛が野生化したといわれている。捕獲戦が行われ、そのたびに国は殺処分してきた。
4年たった今、何頭が生き延びているのかは知らない。こういう動物の話は、メディアからはあまり聞こえてこない。

街は、国道以外はいっさい通過できないようバリケードで封鎖されている。これほどの規模の空間をまるごと封鎖してゴーストタウン化できるということに、ある種、日本国のパワーを感じる。
国道を車で走っているうちに、だんだん、「ドラえもん のび太と鉄人兵団」に出てきた人っ子1人いないパラレルワールドが現実にここにあるように思えてくる。そうなるとほんとうの浪江町、4年前と同じように人が住んでいる浪江町が、鏡の向こうに存在するんじゃないかと空想したくなる。実際、時空論の1つの仮説として「あらゆる瞬間にもう一つの可能性としてあるかもしれない世界が別の世界として分岐して生まれている」というものがある。
僕たちは原発事故があった世界のその後を生きているが、あの瞬間、事故の起きなかった世界が分岐して僕たちの知らない場所でもう一つの時間を紡いでいるのだとしたら…?
浪江町 「牛と衝突」注意
浪江町
浪江町
浪江からふたたび南相馬の小高地区に戻る。
ここの市街地も異様な空間だった。浪江と違って街は封鎖されていないので入ることができる。ただ、住むことは許されていない。そのため、街はあるしアクセス可能なのにゴースト化しているという、不思議な雰囲気。忘れられた集落みたいになっている。

道の駅南相馬で、味噌、手焼き煎餅、神楽笛をお土産に買い、仙台に向けて出発する。
午後1時、相馬市の「やまだ」という食堂で相馬味噌ラーメンを食べる。ネギや豚バラが入っている。辛みのある、おろちょんラーメンみたいな味。
ふたたび山元町の津波被害ルートを通って今度は北上。仙台空港周辺も荒廃の名残があり、津波がさらった跡地には巨大なソーラーパネルができている。

午後3時半、仙台駅に到着。
レンタカーを返し、駅構内の東北物産展でクリームチーズを購入。
午後4時、新幹線で仙台を出発。
奥州山脈の偉容を見ながら、ビールを飲む。
6時16分、東京駅に到着。

原ノ町で会った中野さんが除染員の仕事を終え、あと数日で東京に戻ってくるらしい。さっそくメールし、今週末、東京で飲むことに。今度は僕の友だちも交えて。
山元町
名取市 ソーラーパネル
名取市
名取市
これで「東北、被災地の今」の連載はおしまいです。
お読みいただきありがとうございました。
そして話を聞かせてくれた東北のみなさん、ありがとうございました。
これまでも震災は繰り返し日本を襲ってきました。そのたびに人はまた生き直し、繰り返し生活を立ち上げてきました。人にはそんな力があるのだと思います。僕はその力を信じています。