東松島市
岩田
講演のほかに、現地ガイドツアーも生業として成立させてるんですね?

中井 政義(以下、中井)
ガイドは、2012年からですね。それまでは講演をずっとやってて。
やはり2011年、2012年あたりっていうのは、東北にたくさんの人が見に来るんですが、現地での語り部が足りないと。そういう公募がされたんです。来る人の数に対して、話す人の数がいない。
それ見たとき、そうなんだと思って。講演やってるから、できるなって思って。
それで、ブログで宣伝したら、めちゃくちゃ来たんです。
で、語り部もスタートするんです。

岩田
このあたりで見ておいたほうがいい場所といえば、どこですか?

中井
この辺だと、大川小とか、女川とか、門脇小とか。そのあたりがメインになりますね。有名なところっていうのは。
門脇は中は見れないですから。机とかまだ残ってますから。見せないようにしてます。
石巻市
岩田
大川小は見れるようになってましたけど。

中井
門脇小はですね、子どもたちがグラウンド使うんです。グラウンド使うから、隠してないと中が見えちゃうんです。大川小学校は使ってないですからね。門脇小は今も使ってるんです。子どもたちの精神面を考慮して隠して。まあそういった市の配慮ですね。

岩田
震災遺構も残すか残さないかで賛否両論があると聞いています。もう思い出したくないから早く壊してほしいって言ってる人たちもいると。

中井
いますね。見たくないって言う。結局、門脇小みたいに震災後も人が住む場所っていうのは。だから反対する人が出てくる。解体してくれって。

岩田
石巻や東松島の人っていうのは、中井さんから見られてどうですかね。タフですかね。
塩竈市
中井
うーん。人それぞれですよ。ひとりひとり、心の強さを試されたっていいますか。強い人は震災をバネにして頑張っている。
弱い人はホントに落ち込んだし、性格も変わってしまったし。だからやっぱり、いろいろですね。
DVも増えましたしね。
震災当時増えたのは、アルコールを飲む方ですね。被災地では飲酒運転の検挙率が増えたんです。
仕事を失って何にもすることがないから朝から酒飲んでる人、アルコール依存症の人が増えた。それは行政も全力あげて、専門の方々を派遣して訪問したり、講座やったりとか。あとは、ギャンブルですね。
女性でも男性でも、頑張って仕事始めた人もいますし、そういうふうにね、性格が変わった方もたくさんいる。建物のような物だけじゃなくて、人間の心まで変えてしまいましたね。
あと、住んでる場所での温度差っていうのがありますね。これも難しいもので。例えばこのあたり(※東松島市小松上浮足)だと、津波来てないですから、みなさん暮らしてますけど。ちょっと海沿いに行けばね、自分の住んでたところなんかも、すべて壊滅状態です。
ちょっと場所を変えるだけで、水が来た、来ない、街がある、ない。そんな状態なんで。
その距離っていうのは別に車で10分も走るわけではない。ものの50mとかで変わってきますから。ここからも車で30秒くらいで浸水域に入りますからね。
そうなると、被災地でも温度差がある。自分の地区だと318名が亡くなってます。
だからギャップですね。浸水した地域とそうでない地域、強い人と弱い人、お金が入ってきた人、貧しい人、いろんな面でのギャップ。
報道もそうですね。マスコミの方っていうのは、ストーリーを持ってくる。それにそぐわないのはぜんぶ捨てますから。自分も独占取材とか受けましたし、某キー局さんの取材も受けましたけど、ぜんぶカットされました。

岩田
ストーリーはこっちにあるんですけどね。なぜか向こうが持ってきますね。
石巻市街地
中井
ひどい話では、取材の約束してたんですけど、現実の話をしても、向こうのストーリーにそぐわないから、話が決裂して、じゃあ、いいですってなって。取材さえしてもらえなくなったことも実際ありましたね。
自分が付き合った報道の方で、その方は悪くないんですけど、月1で私のところに来て取材されてたんですけど、3カ月目ぐらいで、「悲惨な写真はいらないから」って上から言われて。笑顔の写真、子どもの笑顔の写真。そういったものを上から指示されて。
被災者として伝えたいことはいっぱいあるんですけど、やっぱりね、そちらのルールがあるんで。

岩田
震災後、価値観のベースは変りましたか?

中井
価値観はまったく変わりましたよ。
あのー、自分は当日は自宅にいなかった人間なんで。

岩田
どこにおられたのですか?

中井
仙台市です。お客さんと打ち合わせで。震災が起きて思ったのは、「ああ、生かされたなあ」って。
家族は津波と遭遇したんですけど、家族もなんとか助かったんですけど。
女川町
岩田
そのとき、「生かされてる」っていう意識が初めて生まれたんですか?

中井
生まれました。なぜかというと、特に最近って、自分の仕事がインターネットで完結する感じだったんで。データで納入する、なんでもネットの世界ですから。
ところが、その日はたまたま呼ばれた。で、仙台に行ったってことですね。
近所の方、たくさん亡くなったんですよ。で、自分もほんらい、自宅にいるはずなんですよ。そのことを考えると、生かされたなあって思いますね。
やっぱりそれは結果論ですけど、ほんとに不運な方は不運だし、自分の場合は妻も含めて、全員が助かった。 価値観がまったく変りましたね。
震災の後はちょっとしたことでも感激するようになりましたし。
震災前にはなんとも思わなかったことも、「これって生きてるから感じれることだ」と。

岩田
例えばどんなことで感激するようになりました?

中井
自分の場合だと音楽ですね。音楽聴いてるだけでも、震災前とは違って感動するんです。知ってる曲がどっかから流れて来るだけで、すごい感動するようになりました。懐かしい曲だなあ、そういうふうに聴ける自分がいる。
音楽を聴けるだけで、オレ、生きてるんだっていうのが、
石巻市
岩田
直結するようになったんですね。

中井
直結するようになった。それは「あのとき、もし死んでいれば」っていう感覚がどっかにあるからなんですね。
だから食べ物もそうですね。
さすがに食べ物を涙流して食べたりはしませんけども(笑)。
多くの方が思ってると思うんですけども、やはり、震災前の状態に戻りたいって思ってる方がたくさんいます。まず家。あと、お金を含めて震災前のレベルまで上げたいっていう。震災前を普通とすると、ほとんどの方は普通以下になっちゃったんですね。その普通を取り戻したいんですよ。で、現状、戻った方ってすごく少ないんですよ。
家を失って新しい家を買うとなって、まあ、全員が二重ローンというわけじゃないんですけど、

岩田
えっ、二重ローンなんですか?
失った家のローンも続いているんですか?

中井
続いています。

岩田
白紙というか、援助してもらえないんですか?
石巻市・大川小跡地
中井
そうですよ。阪神大震災ときもそうですよ。
そういうこと知らない人があまりに多いんで。

岩田
たぶん僕が無知なんだと思うんですが…

中井
そんなことないですよ。みんな知らないです。
自分が語り部で話すと、みんなびっくりします。

岩田
二重ローンだと普通、今の不動産システムだと、暮していけなくないですか?

中井
それが現実です。
これがね、局地的だとまだいいんです。
岩手、福島、宮城の被災した世帯のローンを日本が肩代わりしたら、国が沈みますよ。

岩田
そうなんですかね。

中井
どっからその財源出ますかね。
東松島市
岩田
いや、出せるでしょ。
くだらないことにいっぱい使ってると思いますよ。

中井
(笑)でもそれやっちゃったら、阪神淡路大震災の方々はどうなるんですか?

岩田
出してやったらいいんですよ。

中井
それはわかんないけど(笑)。
あと、今回の震災で被災して思ったのは、これだけ多くの方が広域のエリアで、大の大人がですね、仕事しないんですね。二箇月も仕事がない。できないです。だから、避難所とかでごろごろしてるわけです。すごい異様な光景ですよ。そういう光景って、まずないですよ。
でも、もう一人の自分がいて、そのとき「仕事しなくていいんだ」って思って。食事もらえるし。明日も、明後日も、明々後日も。そういった意味では、不思議な気分でした。
石巻市街地
岩田
でも、ちょっと不安でもありますよね。

中井
もちろんそうですよ。現実逃避ですから。
それともう一つ思ったのは、仕事してね、家建てたり、貯金するっていうのは、ほんとに必要なのかなって。
なぜかっていうと、避難所にいると、一カ月も二カ月も何にもせず、最低限の物資で生きている。別に、贅沢しなければ生きれるわけですね。
ああ、そっかと、これがほんとに、生きるっていうことかと。避難所生活では必要物資を支給されてたわけだけど、これが自分の必要な分だけと捉えれば、これで生きれるんだ、っていう。
貯金もしない、あくせく働かない、食べる分だけとればいいんだっていうのが、すごいわかりましたね。

岩田
身の丈がわかるっていうことですね。

中井
そう。だから今までやってたこと、背伸びしたことは、一体何をやってたのかな、と。そういうのは、すごく感じました。
そういった意味では、震災で、いろんなことの原点が見えてきますよね。生きるとは何ぞや、仕事とは何ぞやと。
最初はショックで、これはもう生きれないって思ったんですけど。生きれるんですよね。
ものがなくても生きれるんですよ。多くの方は、今、家にものがあるから生きれると思ってる。これ、錯覚です。なくても生きれるんです。
女川町
自分、家が流されたあと戻ったんですけど、物置があって、じゃあ「物置に何が入ってましたか?」って訊かれると、うーんと、えーっと…って。出てこないです。
なくても生きれるんです。そういったことを知りましたね。

岩田
それはやっぱり、震災を経験するまでは、そういう意識はなかったんですね。

中井
ないですね。だからあらゆる価値観が変わりましたね。
写真も8mmビデオも、家族の成長記録もぜんぶ失ったんですけど。
どの家も写真あると思うんですけど、あれは、いつでも見れるっていう気持ちがある。だからそんなにアルバム開いて見ないですね。
でもなくなると、めっちゃ見たいですよ。で、どういうことが起きたかというと、震災後は子どもの写真がなくなってしまいましたから、余計、子どもの記憶を辿るんですよ。子どもが幼いころの記憶を。震災後は、子どもの夢をたくさん見るんです。息子が幼いころの夢を見るんです。たぶん、見たいんですね。
今の子どもの姿に幼いころの記憶が重なって見えるから、すごい、愛おしいんです。これ、震災前にはなかったことです。
音楽も、子どもの写真も、それを失ったからこそ、生き生きしてきましたね。

岩田
一段落着いたなって思えるまでに、あと、どれくらい…

中井
そうですね。やっぱり、多くの方が仮設住宅から出られれば。
仮設住宅っていうのは仮設ですからね。
石巻市・仮設住宅
自分は高校のときにアルバイトしてたんですけど、工事現場ではよくプレハブを休憩所にするんでわかるんです。やっぱあのプレハブに住むって、人間の住む環境として作られてないんです。でも、現に今は住んでる。それが自宅ですから。
それ考えると、やっぱり多くの方が仮設住宅を出られるようにならないかぎり、復興したとは言えないと思ってます。
これで中井さんとのお話はおしまいです。
お読みいただきありがとうございました。
引き続き連載「東北 被災地の今」は続きます。