※以下対談記事中に差し挟む写真は、特にクレジットのない場合、林君ではなく僕、岩田が撮影したものになります。
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岩田
まあまあ、いつもどおりで。
林 弘康(以下、林)
いつもどおりでね。じゃあまあとりあえずは、乾杯しましょうか。お疲れさんで。
岩田
お久しぶりの東京で。
林
そうですよ。
久しぶりの東京だし、君と一緒に飲むのも久しぶりだよね。
Photo : 林 弘康
岩田
東京駅に着いてさっそく言ったよね。「ちかちかする」って。
林
うん? ちかちかするっていうのは?
岩田
「東京はちかちかする」って。
林
うん。ちかちかしたね。目にきましたよ。だからね、あそこで撮り始めても良かったかなと思ったんだけど。街が写真になってるんですよ、すでに。それに、こっちも旅心があるから。あそこの横断歩道わたるときの人の流れなんていうのは、普通に撮りたくなる風景だったけど。
岩田
撮りたくなるんだ。
林
撮りたくなる。だけど、やっぱりね、撮るっていうことをみんな考え過ぎてるのかなと思うんだよね。撮らなきゃ、って。撮らない、撮り逃すっていうことをすると、実は、ウェーブがあとでくる。
Photo : 林 弘康
岩田
うん。
林
これは僕のチューニングのしかたなんだけど。
ついつい慌てるんです。撮りたい、撮らなきゃ、って。そこをね、一回、流す。流しても、そのあとに来る。ちゃんと写真が来る。それが貝塚だったわけです。
岩田
そのウェーブっていうのは、そういう場所なり状況だからくるの? そういう時間だからくるの? それとも場所を移していくなかで、なんちゅうか、そういう一連の自分の運命みたいなものとして来るの?
林
今日、撮るか撮らないかっていう話だから、僕にとっては。
場所が東京だろうが千葉だろうが。僕はもう
岩田
つまり撮るエネルギー量が決まってて。
林
あ、そうそうそう。
岩田
だいたい一日でこんだけしか力使えないよっていう。
林
でもね、ついついね。東京駅出たときね、あっ、写真が転がってるなっていうのはわかるわけですよ。撮り放題です。だけどね、そこでね。10年前の僕だったらたぶん撮ってる。しゃかりきに。この10年でようやく自分のなかで揺るぎない、揺らされない何かっていうのがでてきて。
一番最初に撮りたい場面が来るわけです。写真が向こうから来るわけです。でもそれを流すんですよ。なんでかっていうと、そこで撮ってしまうと、貝塚でのパワーがダウンするんですよ。これは理由はわかんない。右脳で感じてることだから。
岩田
貝塚、すごかったでしょ。
林
いや、だから、スイッチが自然に入ったんですよ。あれは見事。
僕のイメージとして、僕はいつも音楽と写真を一緒に考えちゃうんだけど、やっぱジャズなんですよ。僕が個人で撮るものっていうのは。
やっぱりマイルス・デイビス(※1)のエレクトリックの感じ。途中からぐいぐいぐいぐい入ってくるんですよ。コードはスタートから決めてくわけだけど。キース・ジャレット(※2)もそうなんです。音探しながら進んでいくわけです。ぽん、ぽん、ぽん、と。
でも、入る時は入るんです。オレ、わかるんです。「入った」っていう。あの感覚っていうのがね。だからね、出だし頑張っちゃうとダメなんですよ。
※1:マイルス・デイビス … ジャズの帝王と呼ばれるトランペッター。ここでいう「エレクトリックの感じ」というのは、1960年代後半に電子楽器を取り入れ生みだした、うねるようなファンクロックサウンドのこと。
※2:キース・ジャレット … ジャズピアニスト。「ザ・ケルン・コンサート」で見せた完全即興によるソロコンサートは伝説的。
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岩田
プリンスの「パープルレイン」(※3)とかも。
※3:プリンスの「パープルレイン」 … 1984年に発表されたプリンスの代表曲。実験的でありながらポピュラーソングとしても成功した名曲。
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林
そうそう。彼のライブもそうですよ。途中でくる。周りから見ると見えないウェーブなんですけど、これはやっぱり来るんですよ。
岩田
ベック(※4)はでも最初から入りたがるんでしょ。
※4:ベック … 米国のミュージシャン、ベック・ハンセンのこと。フォークもヒップホップもノイズミュージックも自由自在に組み合わせ、90年代以降の新しい音楽シーンを作り出した。
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林
ベックはね、あの人はね、わりと緊張しいなんですよ。見てると。わりと緊張しいで、やっぱりその、早くギターを「ガっ!」てやって入っていくもんね。それは彼のリズムの作り方だもんで。
やっぱりその、ブルースマンにしても、マイルス・デイビスにしてもキース・ジャレットにしてもそうなんですけど、徐々に持っていくんですよ。いきなりストンと入らずに。こう、客との会話も含めてスタートしていって、という感じですか。ああいう段取りが僕、好きなんですよね。
で、まあ10年前によく話したんだけど、僕のスタイルって自然法爾(※5)そのままなんで、親鸞の。
そのかわりよく観察しなきゃいけないですよね。どこのタイミングでウェーブがくるのか。ただ狙って力入れすぎるとダメですよ。
※5:自然法爾 … 人為を捨て、ありのままに任せること。
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岩田
東京で撮ろうと思えば撮れたんですよね。
林
撮れてますよ。撮りたかったですよ。はっきり言って。カメラぶらさげてて。あんなものぶらさげるもんじゃないなと思いましたよ。ぶらさげてると撮りたくなるんですよ。それでやっぱ岩田君がさ、東京駅出たところで連れてってくれるわけですよ。なんか、ちょっと場末感がある、イワシのお店に。
そういう路地裏行く時にね、光がさしこんでるわけですよ。やっぱり誘惑にかられるわけですよ。そこ耐えるんです。流すんです。そこじゃないんです。僕のスイッチ。それだけがわかってるんです。そこで撮り始めると後でげんなりしてっちゃう。
それがわかってるから、そこは耐えて。とにかくひたすら嵐が、撮りたいという誘惑が過ぎ去るのを待つ。
誘惑に乗ったときが、エゴなんです。
岩田
エゴ?
林
エゴなんです。
岩田
例えば、もうこれで10日撮らないって言ったじゃない。
林
あれ、冗談ですよ。
岩田
何かあるの? だいたい10日間で撮れるのは何枚だ、みたいなのが。
林
ないですよ、そんなの。ないです。ただし、この先たぶん10日間撮っても、今日撮ったものは超えられないっていうことです。
岩田
超えられないの?
林
超えられないでしょうね。あれ、見事ですよ。見事なジャズで、ちゃんとオチがあるもの。ちゃんと社に辿り着いたわけでしょ。そもそも、僕、そこに社があるってことを知らなかったわけですよ。
で、君が奇しくも誘導するかたちになったわけですよ。君についていったわけです。
岩田
ちょっとそこ説明してもらいましょう。
林
どういうこと?
岩田
その、社に辿り着いたっていう話を。
林
まずは力を抜いてですね。任せるんですよ。君が行く方向に任せるんですよ。
岩田
最初っから方向、僕と林君、違ったよ。
林
あっ、いやいやいや、柵があったでしょ。あそこ入ってくまでが、君の誘導なんですよ。
岩田
あれはでもね、僕は誘導しちゃいけないと思ったから、別行動で先行ったんですよ。
林
僕はついてったんですよ。そこは石火の機(※6)で、誘導してるのかついてってるのかわからない状況です。誘導は誘導なんです。でもオレはついてってる。誘導されてるっていえば誘導されてるんだけど、ついてってるといえばついてってるんですよ。そこは曖昧でいいんですよ。
ただ途中で君の気配が消えるんですよ。見事にいなくなるんです。君がその、途端に気配を消して、それはどういう拍子なのかわからないけども、その、まあ、あそこだけの空間に僕がいるっていう状態になるわけですよ。ストーンって入ってくるわけです。あそこが一つの波なわけです。ウワッとくるわけです。それに乗っかるんです。
乗っかる時なんてね、自然と撮ってますよ。入ろうかなと思ったらダメです。もう入ってないとダメです。
そのときにね、撮ってるでしょ。撮ってるうちにだんだんのってくるわけです。独り言喋ってるんです。そのときはもう入ってるわけです。そのままこう、木立を撮ってたわけですよ。いい光も入ってきてるでしょ。しめしめと思ってるわけですよ。まあ、最高の時間帯に連れてきてもらったなと。
これが「撮らされる」ってわけですよ。撮りに行くっていうのは、「貝塚に撮りに行こう」って言って意気込んでなきゃいけないわけですよ。「いいの撮ってやろう」とか。でも、そういう感覚、消すわけですよ。
※6:石火の機 … 物事に心が囚われず迷いのない状態のこと。林君の説明では「自己滅却して他者の動きに完全に同期する身体感覚。スイッチが入る直前に必ず現れる兆候。そのポイントを通過すると自分の感覚が流れそのものになる」という。
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岩田
これは仕事なんだけどなあ。撮ってくれるか心配だったもんね、オレは。
林
うん。だからオレも撮らない可能性、あったから。
岩田
(笑)
林
それはそれで、どうなるんかなあとは思ってたけど、まあその、さいわいにしてね、時間帯が良かったですよ。絶妙ですよ。
岩田
あれも、たまたまだもんね。
林
そうそう。で、たまたまって言うんだけど、実はこれ、意味があって。引き寄せるんですよ。
岩田
でも、新幹線何時に乗って何時に貝塚着いてとか計算してない。
林
してない。
岩田君がどっか連れてってくれるって言ってたけど、オレ、正確な名前も憶えてないですよ。それくらい無関心なんですよ。無関心なんだけど、なんとなく時間帯がこれくらいだから、およそこの天気を見ると、「あっ」と。
予感はあるんですよ。ただ場所は見たことないから、わからない。わからないけど、あの場所に立って、君の気配が消えるとほとんど同時に、のってくるんです。独り言いいながら撮ってくわけです。
そうやって撮ってると、マウンテンバイクのおじさんがいたわけです。
Photo : 林 弘康
あれ、キーマンなんですよ。ぱーっと僕、あそこへ寄っていくんですよ。何かあるんだよ。寄っていくわけですよ。
「どうしたんですか、自転車壊れたんですか?」って訊く。「前タイヤが犬のウンコ踏んじゃって、今、取ってるんです」ってなるわけですよ。
話してるうちに、向こうもなんかこう、「あっ、悪い兄ちゃんじゃないな」っていうことになって。僕がベンチに腰かけたら、あのおじさんも腰かけて。
「岐阜からきたんですけど。ここがパワースポットって聞いて」
こうやって話してるとね、次行く方向を向こうが示すわけですよ。それはオレが訊いちゃダメなんですよ。で、向こうが言うじゃないですか。「あっちはもっとヤバいよ」って。
そのときに、この人の役割がわかったんですよ。
これ、すごく神話的なレベルで考えなきゃいけないんですよ。ドラクエでもいいんだけど。その場所には必ずキーマンがいて、話をすると必ずヒントを与えてくれる。それを拾えるかどうかっていう話なんです。
僕はそれ、信じきってます。石垣行ってもそうだし、沖縄行っても、必ず誰かがヒントを与えてくれる。連れてってくれる。そこ行くと、必ず景色がある。
引き寄せられるっていうのは、体感で知ってる。それは求めなくても、必ずそこに行きつく。むしろそういう心境でいると、景色が勝手に向こうからやってくるんですよ。それ、僕は確信としてある。
で、そのとおりに、そのおじさんは「あっちの方、下はヤバいよ」って言ったんです。
ふつうに曇りだったらヤバくないんですけど、陽射しがヤバかったんですよね。それは不思議な偶然の一致だなと思います。
岩田
たしかあっちのほう、そんなに
林
特にないでしょ。
岩田
ないよね。
林
でも僕はすごいなと思ったんですよ。なぜならばそのときに、斜めになった光が、あそこ一番強く当たってた時間帯。だからすごく明暗が出る。
まあ今、文字に起こすとそうだよっていう話。そのときは感じてるだけ。
結局、あそこの貝塚を、貝のある側ではなく、逆側に導かれたわけですよ。
で、そのまま撮り進めていき、で、坂があって、ちょっと登りきったところで、オレたちが最初入ってきたところだなあ、と思ったんですよ。これで終わりなのかなあ。いや、でもこれで終わりじゃないよな。オチがまだきてないぞ、と。キース・ジャレットでいう一番乗り切るところじゃないな、と。そういうのがあって。
そしたらね、ちょっとね、感じるんです。
右手に。光と、何かが。
岩田
大丈夫ですか(笑)?
林
えっ? やばくなってますかね?
岩田
やばくなってるね。
林
やばくなってるね。
岩田
そのままいこう(笑)。
林
で、うん、やっぱりその、光をね。感知するわけですよ。こう、右脳が、右側を感じるわけです。
岩田
やっぱり出てきたね、右脳が。
林
「右側に気をつけろ」と(※7)。
岩田
「右側に気をつけろ」、そういう意味か、あれ(笑)?
林
そういう意味があるんだと思うね。
※7:右側に気をつけろ … ジャン・リュック・ゴダール監督による1987年の映画。「理解しようとは思わずただ感じるように観る映画」として、ゴダール作品の中でも特に難解なことで有名。
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岩田
ほんとか(笑)?
林
そうそう。まあ「左側に気をつけろ」(※8)っていう映画もあったよ。
※8:左側に気をつけろ … 監督ルネ・クレマン、主演ジャック・タチによる、ボクシングを描いた短編コメディー。1936年フランス。
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岩田
あるある。
林
あれはコメディーのほうじゃなかったかな。
岩田
そっちが先だからね。
林
あっ、「左側に気をつけろ」が先なのか。そうか、そうか。
まあ僕はその、「右側に気をつけろ」っていう声を聴いたもんだから(笑)。
そこでやっぱり右側を振り向いたら、すごい立派な木があったわけですよ。
Photo : 林 弘康